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Shiga Association of Obstetricians and Gynecologists

滋賀県産科婦人科医会

2021年7月28日 22:00:00

#001 村上 節 先生

 この度、滋賀県産科婦人科医会についてもっと知ってもらいたいという思いから、滋賀県産科婦人科医会の会員の皆様へインタビューを随時行い、掲載させていただくこととなりました。記念すべき第1回目として村上節先生を取材させていただきました。先生は2008年12月に滋賀医科大学の第3代教授に就任されました。それではインタビューの様子をご覧ください。

Q.先生は滋賀医科大学 産科学婦人科学講座の教授をされておられますが、突然で失礼致しますがまずは自己紹介を頂けますでしょうか?
A.生まれは大阪で、東北大学卒業後、3年間岩手県立花巻厚生病院で研修医をした後に、大学に戻り加齢医学研究所の生化学教室で研究に勤しみ「パン酵母のプロテインホスファターゼタイプ2Cの精製と性状」という産婦人科とはあまり関係ないテーマで学位をとりました。その後、仙台市立病院、岩手県立宮古病院を含め、30年くらい東北地方で勤務後に滋賀医大の教授に着任しました。
部活は高校時代はバレーボール。大学では、夏は水泳部、冬はスキー部と夏も冬も部活をしていました。

Q.早速ですが、現在、滋賀医科大学で今一番力をいれられている事を教えて下さい。
A.「人を育てる事!」これにつきます。

Q.滋賀医科大学には若い世代の産婦人科医特に子育て世代の女性医師が多いと聞きました。今後働き方改革の問題を含めて若手に向けての取り組み等につきお考えを教えて頂けますでしょうか?
A.働き方改革は、「意識改革」と思っています。特に年配の先生方には昔は一人でこんなに頑張ったのにとかいうのはもう今は通用しないという意識改革を持ってもらわないといけません。また、女性の一生においては自分のキャリアアップに時間をさけるときと家庭の事が中心になる局面がある。ずっと同じペース配分で仕事をするのは難しい。それぞれの人生の局面に応じた働き方をするしかないのであれば、その受け皿を用意する必要があると考えています。女性医師本人も、もちろん男性もですが、無理して頑張りすぎる人もおられたり、頑張らない人もいたりしますが、各人のできる努力で協力いただくのは必須です。全員が公平にというのは難しいけれども、みんなで社会を支え取り組んでいくという意識改革が必要と考えます。

Q.滋賀県産科婦人科医会と滋賀医科大学との連携についてお話し頂けますか?
A.教授に就任した時の医会長は野田洋一前教授でした。その時に昔の日産婦学会の地方部会長のポジションを与えて下さったのが大きかったと思います。近畿地方では、県医会、医会の支部長、学会の地方部会長が一人に集中しているところが多いなか、学会の地方部会長を担えたので学会との繋がりを続けられたのが私にとっては大きかったです。その後小笹先生、髙橋先生にはずいぶんたくさんの学会を任せて頂きましたし、現在の野村先生とも周産期メンタルへルスをはじめたくさん学会や研修会を開催することで連携させていただいています。

Q.滋賀医科大学は産婦人科の4分野全てに力を入れられておられますが、その中でも特に腹腔鏡手術やロボット手術、がん生殖等に積極的に取り組まれているとお聞きしました。お話し頂けますでしょうか?
A.4分野全てに力をいれているのは野田先生の遺産です。初期研修のマッチング制度が始まり、大学が敬遠される中で、滋賀医大にいたら全部できるという事を維持しようと思いました。私は1986年の卒業なのですが、東北大が1983年に日本初の体外受精ベビーを成功させ、当時は体外受精される予定の患者さんは尿中のLHサージを自分で測られて陽性が出たと連絡があると、生殖チームが全員集合して腹腔鏡で採卵をしていました。そのような生殖医療と腹腔鏡の技術がそこに用意されていた環境にいたので、スムーズにこの道に入る事ができました。更に内視鏡手術の発展とともに産婦人科のキャリアを積んでいくことができたので、内視鏡学会で学会賞、アメリカ婦人科内視鏡でもセカンドプライズを受賞する幸運にも恵まれました。いまは現役を終える前にロボット手術に間に合ったのもとてもラッキーと思っています。また、がん生殖に関しては、教室の木村文則先生が関西のトップをきって生殖医療ネットワーク滋賀を作り、県と掛け合って日本初の癌妊孕の助成金制度を実現し、滋賀医大の名前を広めてくれました。ちょうど時代と人材とがマッチしてよいタイミングでこうなったのかなと思います。

Q.滋賀医科大学の若手の医局員は色々な専門施設に国内留学をよくされておられる事をお聞きしますが教えて頂けますでしょうか?
A.野田先生の時代からすでに道筋が出来上がっていたのです。当時は後期研修も関東地方に送っていたという話でした。4分野それぞれで例えば婦人科腫瘍は癌研有明やがんセンターに当時から行っており、それぞれのOB達が行くといいぞ、勉強になるという話を若手にし始めるわけです。そうすると若いのが僕も行きたいと言い出すわけですよ。せっかく手を挙げたのをダメだとも言えないので、これまでのコネクションもあるのでお願いしていました。そうするうちに、一人行ってまた帰ってきたら今度は僕もという感じで自然に流れが出来ました。内視鏡も倉敷の安藤先生のところに行かせましたね。みんな行ってると今は苦しいけどつぎは僕の番だと思えば、今を頑張ってくれるモチベーションにもなる。あと行かせるときには、必ず滋賀県に帰ってくるように約束しています。お陰様でみんな帰ってきては各分野でバリバリ頑張って若者をを引っ張ってくれています。あとは、専門施設でサブスペシャリティーの資格をとってくれると僕らにとっても有難い。周産期でも胎児治療と言うのは簡単だが実際の技術をどうやって習得するかというと実際みてくる方が早いので長良に勉強に行ってきてもらいました。みんなよく頑張ってくれてほんとにいい人材ばかりです。

Q.今後のビジョン等ございましたら教えて下さい。
A.もうひと花咲かせたいと思っています。帝王切開後瘢痕症候群、仙骨部表面の電気刺激により子宮の血流が増えて収縮を抑制できないかという研究、猿を使った子宮内膜症の研究等様々種を蒔いています。これらの研究の中でなにかもうひとつ大きな花を咲かせたいと思っています!

Q.最後に何か伝えたい事があればお願いします。
A.滋賀県は京大、京都府立医大、大阪医大等様々な大学の皆様の協力がなければ医療が成り立たないところです。現在はバランスよく支えることができていると思うのですが、会員のみなさまにはこれからもご協力、ご支援を宜しくお願いします。

今回、非常にお忙しい合間を縫って村上節先生にお時間を頂きインタビューさせて頂きました。
先生は先代の諸先輩方に感謝の念を常に持たれ、医局員の事を親身になって考えておられました。中でも特に印象的だったのは、女医さんの働き方は一生の中でのライフワークバランスが大切、と考えられた上で、「働き方改革はみんなの意識改革が大事!」といわれていたことでした。また、若手の育成に非常に熱心に力を入れられておられ、若手の医局員の国内留学も熱心にバックアップされ、留学先で得た知識と技術を滋賀に持ち帰っていただき、結果的に滋賀の医療発展に繋がっているのだと思います。そして、何よりやはり村上先生のお人柄に、良い人材がたくさん集まっているのだなと痛感しました。そんな中まだまだひと花ふた花咲かせたいんだと研究への熱い想いも語っておられました。人材の育成、産婦人科への思い、に恐れ多いですが惚れ惚れと致しました。また、他大学との連携や滋賀県産婦人科医会との連携も考えておられ、大変勉強させていただいたインタビューでした。
この場をお借りしてご多忙の中お時間を頂戴した事を厚くお礼申し上げます。ありがとうございました。
(取材 広報担当 浮田真吾)

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